風の教室
〜野の花・山の花でおなじみの広山流です〜
海辺のニーチェ

あの子はどうしているだろう。

母猫は三毛猫、海辺を去るとき隣家に貰ってもらって、会いたいと思いながらなかなか会えなくて・・・

仕事が空いて、そうだ!とバスに飛び乗って、そっと辺りを訪ねたら玄関先で子供たちに会って・・・手を引かれて家の中へ。

「ネコちゃん2階にいるよ!」そのまま挨拶もそこそこに2階に上がると<猫ちゃんたちの部屋>には5・6匹の猫たちがいろんなグッズの中で自由に遊んで・・・。「この子だよ!」と抱いて連れてきた猫は、別れた時より一回り大きくなって、じっと私を見つめて。

すると、胸に飛び込んできて抱くと首をひねって私の手をなめ始めたのです。”チビちゃん!忘れてなかったのね!!”

”飼えるものなら・・・”マンションに暮らすことになり、泣く泣くネコ好きの隣家に貰ってもらって・・・・

まだ1年にも満たなかった子猫は、私のことは忘れていると思っていたが、胸に抱かれたまま何度も首をひねって私の顔を眺めては抱いた手を舐めて。飼い猫を失って、心のすきまを埋めてくれた外猫の子は、優しいまなざしで私を迎えてくれたのでした。

歓待に甘えて、帰宅したのは21時を回ったところでした。

| shukablog | - | 19:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
忘れられなくて・・・・

大好きいま、何処にいるの?

心の中に深く沈んでしまって立ち上がることができない・・・

何をしてもうつろで・・・・・

小さな骨片になるのを見送って、もう何年も経ったのに幸せでない・・・

幸せでいることができない・・

白いたくさんの花に囲まれて、美しい緑の中に見送って、やさしい友が寄り添って・・・でも幸せでいることができない。

多忙を重ねて、追いかけられて生きて、でも充実して生きていない。しかたがない!

何とかしなくてはいけない!

 

 季節が巡って、ゆっくり休む暇もなくて、多忙に何とか生きていて、そうやって時が過ぎていって・・・

 日本海側は雪で、太平洋側は雨で・・・天気予報が知らされます。明日は、山里の仕事が待っています。

 

 

 

 

 

| shukablog | - | 22:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
大海に船を漕ぎだして

万年青 新しい年を迎えました。

好むと好まざるとにかかわらず、選択の余地のない大国の大統領を得て、この国の一介の民は、末端の漠然たる不安を抱きながら、もはや過去となった誠実に心惹かれて・・・・・

 

 昨年末ギリギリまで仕事に追われ、そして、恒例の年をまたいでのハッピーニュイヤーを古い外国の友と迎えて・・・・

あと、どのくらい楽しく生きられるのかしらなどど言いながら、また一つ年とっちゃったねと顔を見合わせたのでした。

バタバタと新年の一日を終えて独身に非ずの身は、かろうじて消えかかる元旦を追いかけて婚家の敷居をまたぎ、あるかなきかの立場を守って、 夜のとばりを背に、素のねぐらに戻ってきたのでした。

 頭の隅に巣くっている処理しきれなかった仕事を抱えながら、それでも雑然とした場所に心なごんで、あとどれ位きちんと満足のいく生き方ができるだろうと心の中で襟を正す日、山積みの思いを重ねて大海に漕ぎ出す船を操って生きていかねばならない。

| shukablog | - | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
思いを消せずに・・・

額アジサイ 季節が通り過ぎて巡ってきて、かって、長年住み慣れた家が、ものの見事に取り壊されていくのを確認した。

 そこを去って半年余りが過ぎて、なぜかその日、足が向いた。

友人と散歩がてら立ち寄ってみようということになって、ゆっくりと慣れ親しんだ風景をたどりながらその門の前に立つと、懐かしい玄関の扉が開いていて、その先の2階があらわになっていた。

大きな解体の重機が、広かった庭に立ちはだかって鎌首をもたげていた。

ゆっくりと鎌首が振り下ろされて、すさまじい音をたてながら6LDKの家がつぶされていた。

あわただしい転居に持ち出せなかった庭の木や草花や、大切に育てた花たちが

ものの見事に踏みにじられていた。

あやうく泣きそうになった。

 幾たびか出向いて花木や草花を掘り起こそうと思いながら、転居に伴う信じがたい多忙を重ねて、ついに果たせなかった思いは、木っ端みじんに打ち砕かれた。

思いを重ねて、あちこちから集めて植えた貴重な茶花も、最早、巨大な重機の下敷きになっていた。

<当然である、仕方のないことである>ぶつぶつとひとりごちて、友人に促されながら背を向けた。

〜あぁさっぱりした!

頭の中は、豊かな草花に覆われた雑多な庭の匂いに満たされて、そのくせ何とも言い難い思いを抱え込んでいたのに、、、、

 

 飼い猫を横目で見ながら、快く受け入れてくれる住人の好意に甘んじて庭に寄って来ていたノラ猫たちは、引っ越し直後に郵便物の回収に来たとき、たちまち寄ってきたが、声をかけるや否や手を払いのけて一斉に立ち去った。

”無断で去って捨てた!”と言わんばかりであった。

ーそこを去るということは、かかわる思いも立ち去るー

 

心残りを抱えていて、寄る辺ない思いを秘かに重ねた年月が幕を閉じた。

 

季節が動き始めて、早い秋の足音が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

  

 

| shukablog | - | 19:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
暑い夏の日に

蛍袋いつの日も暑く、広島と長崎は、滴る汗の中であの日を迎えてきた。日陰のない灼熱とも思える夏の日の広場に立って、業火に焼かれる人々の、耐え難い思いの爪ほどでも共有するという、ただひたすらに、その思いの中で広場に立ち続けてきていく年を経てきた。、

年を重ね、広場に立たなくなって久しい。そして、その日の時刻にテレビの前に立って祈る。

悪天候によって、北九州の小倉に原爆が落とされなかったという事実、そして、それが長崎に悲劇を生んで、母と子を焼いたという事実。かって、アメリカとインドの女性と3人で長崎を旅し、広場に立って母と子の像を目にしたときに突然こみあげてきた思いに号泣し、2人を戸惑わせたことが思い出された。

2人は何も言わず、ただ黙って私が落ち着くのを待っていた。

そして2人は、そっと私を抱いた。

戦争という最悪の悪が、個々の人間の心と人生とを奪って、なお、影を落とそうと構える。

為政者の思惑を飲み込んで、母子像も千羽鶴も厳然とそこにある。戦争という最悪の悪を飲み込んで立つ。

灼熱の広場に、願いを込めて祈る心を、救い上げる明日であって欲しいと願わずにいられない。

 

 

 

| shukablog | - | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
たむけの花を・・・・せめての

小鬼百合 かって暮らした 戸建ての庭の、門の近くに植えていた小鬼百合が、マンションのベランダで華やかに咲きました。今や貴重種になったといわれるユリは、蕾の色が鮮やかになってきて毎朝一輪づつ咲いています。

かっては山の中や里の近くに見られた素朴なユリは、もう滅多に見ることはできないといわれています。

 小さな緑の植物たちの中で、不似合いな程の鮮やかな色合いで、華やかな色を添えています。

 

 長年暮らした庭にたくさんの植物たちを残したまま移り住んできて、少しだけ伴ってきた小さな植物たちを木製の植木鉢に植えて、毎日の水やりにささやかな楽しみを抱きながら育てています。

背後に大きな森の緑を目にしても、多忙に暮らす日々に手に届く緑をよしとして、せっせと小さな植物とかかわっています。

友人の庭に咲く野の花たちが、株分けでわがベランダにやってくることになっていて、大きな楽しみになっています。

   

 心優しき人たちが、遠い異国で銃弾に倒れ、理不尽としか言いようのない死を死んで、涙を流すしかない悲しみに心震える一日でした。

人間の、人間としての生き様が、何でこれほどまでに乖離するのか言葉が見つからない。

信じることの表裏は、かくも無残な形で理解を超える。

学ぶということを、どのように受け止めればよいのであろうか。

 

| shukablog | - | 20:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
緑のオアシスで・・・
山稽古  年に一度の山の中での稽古は、快晴ではありませんでしたが、雨に洗われた後のオゾンいっぱいの清涼な空気の中で行われました。
緑の季節が訪れて心地よい風が吹き始めるころ、思い思いの花入れを準備して数台の車で山に向かいます。

 里山の、知る人ぞ知る素朴な「そば処」も楽しみの一つで、稽古日に組み込まれて日程をやりくりしながら敢行されます。
当初の計画は、おりしも熊本地震のために延期し、したたるみどりの盛りに念願を果たし、花材として入手することのほとんどない山の自然が絶好の花材となりました。
 人も植物も生き生きとし、手の届く範囲でそれぞれの植物に触れ、活けこみが始まりました。思えば贅沢の極みだと言いながら、日ごろ直接触れることの少ない山の素材に触れて、時間を忘れていました。
涼しい空気が一瞬冷気を帯びると、さっと霧が立ち込めて、そして、涼しい風と共に緑が濃さを増し、山の緑が輝きを放ちます。
日ごろ、目にしながらも何気なく通り過ぎる山路の路傍の草も、この時ばかりは素晴らしい素材として受け入れて生かしています。
可憐な花も素朴な草も雑草にあらず、活かされて立派な作品を手助けします。

 山中の、霧が晴れたりかかったりしていく様子は、ふだん目にすることは少なく、その美しさに我を忘れます。
そして、誰もが芸術家として機能して、再度の機会を祈念しながら山をあとにしました。

日々、喧騒の中で懸命に生きていて、そして、自然と一体化しながらの極上のひとときを満喫した一日が、大きな活力となってそれぞれの日常を支えていくことになることでしょう。
| shukablog | - | 11:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
緑の季節・災害を超えて
七山緑の季節を大きな災害が見舞いました。熊本の隣の県に暮らして、福岡県の中央の高台も立っていられないほどの大きな揺れに遭遇しました。
東京で、日常的に起こる震度3の揺れに慣れている私も、さすがに、起き抜けの姿で頑丈な家具の横にしがみついて揺れの鎮まるのを待ちました。マンションの6階は慣れている私を驚かせるに十分な揺れで、あわててテレビのスイッチを入れ、目に飛び込んできた熊本の未曽有の災害に声もなく立ち尽くしたのでした。
とっさに、熊本に息子が暮らす生徒さんのことが胸をよぎり、携帯電話に飛びついて安否を尋ねると「今熊本に向かうところです」というので、高速道路も幹線道も遮断されていることを伝えたのですが、ナビがあるから何とかなるので心配しないでと止めるのも聞かずに飛び出していきました。
大きく揺れたことに心配した生徒たちから、次々に電話があるのですがそれどころではなく、どうか無事に熊本に着くように案じられて生きた心地がせずにいたのでしたが、午後になって”いま息子と避難所にいるから心配しないで”と電話があり、次々と集まってきていた生徒さんたちと思わず歓声を上げたのでした。
 なぜか心惹かれてたびたび訪れていた熊本は、私の知る熊本ではなくなっているに違いなく、あらためて地震の怖さを感じ、それに続く阿蘇の悲惨さも、二人で熊本の帰りに阿蘇を巡って河原撫子の可憐な姿に歓声を上げたことがよみがえり、声もなく惨状を見つめるばかりでした。
 物資の輸送も善意に余る現状を受け入れて、今、玄関には大量の水のストックが、いつかやってくるかもしれない災害のために代わって鎮座しています。
せめて大量の雨が降らないことを願うばかり、熊本や阿蘇の人々の悲惨が自らの悲惨に変わらないとも限らない現状を受け入れて、
月並みにも、一日も早い復興を願いながら陰りのない青空を眺めています。
| shukablog | - | 15:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
海辺を去って・・・
 長い間慣れ親しんだ潮風の匂いのする海辺から、福岡市の中央高台に位置する、大きな森を背に動植物園に通ずる場所に引っ越してまいりました。
 庭付きの戸建てに暮らした長い年月は、植物との共存で季節を身近にし、人とかかわって暮らした年月でしたが、マンションという個の暮らしが始まって、自らと向き合う時間の経緯が問われるぞと構えています。思いのほか快適な暮らしにほっとしながら、それでも多忙に自らの周囲を固めて、いざ出発の構えです。
様々な気遣いを余儀なくされることになりそうな暮らしが始まったわけですが、それでも、干渉の枠から疎外されることのよろこびは得難いものがあって、思い切りの伸びをしていますが、さて、それではどうしますかと、、、、。

 コンパクトな生活の始まりは生き様の見える生活でもあるわけで、身構えているところです。
先日、友人から電話があったので、大理石でできた頂き物のブックエンドを誤って床に落とし、掃除のためのバケツの水をひっくり返して、確実に寿命が縮んだと話したら、大笑いされました。
生活の拠点が便利なところは様々な騒音の場所でもあるわけで、救急車のサイレンが聞こえない日はなく、最初のうちは飛び出して道路を眺めていましたが、日常に慣習化されてくると、<ああまただ>といった具合です。

 空が、カラスの軍団で一面に覆われるかと思われる朝夕の大群に、最初のうちは驚いていましたが、先日、大雪が降って飛び立つことのなかった一日、寒くて食べ物もなく震えているのではないかと案じられた次第、騒々しい鳴き声も耳に常習化されてみると、
それはそれでよしとする生活の一端を取り込んで、新たな場所での日常が始まっています。

 
| shukablog | - | 14:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
海の入り口
朝焼け 空気が澄んできて一日の始まりに窓を開けると、まだ太陽が昇る前の2階の窓の先に見事な朝焼けが見られました。
河口の入り口は、昨夜からの街灯がついたまま静かに潮が満ち始めていて、早朝の高速道路は早くも大型車両がせわしなく行き交い、静かな喧騒の中にありました。
日を開けずに日常化してしまった高速道路の事故は、この左側の海の一瞬視界が途絶えるカーブで起こります。けたたましい消防車や救急車のサイレンで、あ、また!と。
高速道路の、家並みや味気ない景色が一瞬パッと開けて、広々とした海の入り口の志賀島や能古島が目に飛び込んでくると、思わず見とれてしまい、その先に景色が遮断されるカーブの存在を忘れるといいます。
そのカーブを過ぎると、また開けてくる海があることは、日常行き来するドライバー以外は余り知られていないのであろうかと、救急車や消防車のサイレンを聞くたびに、あ、またやっちゃったと心が痛みます。
 高級住宅地と開ける海と、そして、テレビ局やドームや大企業の林立する場所は、海を背にして時として繁華な人の流れを誘います。連日のように、中国からの巨大な客船が二つの港湾に着岸し、大型バスが道路に長い列を作り・・・・。
そのバスによって、例年予定されていた小学生の研修のための足を確保することが出来なかったというニュースが流れたときは、思わず頭に血が上り、悪態をついてしまいました。「マナーの悪さとお金と、サッサと一緒に持って帰って!!」

 季節は、日々刻々と変わり、紅葉の美しさをテレビを通じてしか観賞することが出来なくなって、朝夕の冷え冷えとした澄んだ空気に逝く秋を思います。
庭の杜鵑草も盛りを過ぎ、たわわに生った富有柿は、ほぼ小鳥たちの至福の時間になったようでした。                                 
| shukablog | - | 13:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
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