風の教室
〜野の花・山の花でおなじみの広山流です〜
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それでも春が・・・・

梅園 例年に比べて、春の訪れが遅いような気がします。
社会的にも色々と大変なことが続いて、怒りを増幅させています。
願いもむなしく、ISによって残忍な殺され方をした後藤さんのニュースには、思わず叫びました。涙が止まらず怒りのやり場に困った方は多かったに違いありません。そして、私のその怒りの矛先は、國の為政者の在り様に向かいました。やむを得なかったにせよ後藤さんたちが拘束されていることを承知で、あの時期に、なぜ関係国を訪問しなければならなかったのか理解できないのです。国は、善意の人間を踏み台にしてでも、国民の犠牲の上にたってでも決めたことをやり通さなければならなかったのであろうか。一刻を争うほど重要なことは、あの時期に他にはなかったはずである。
権力は、平和憲法ですら平然と変えようとしている。何か勘違いをしているとしか思えないのである。

 善意が抹殺されて、この春はひときわ悲しい春になった。
人に愛され、懸命に生きていた幼い命が奪われた。奪った方も奪われた方も大人たちの責任は重い。
教育もうわべだけで教師も見て見ぬふりをし、親も生活に追われるという大義名分によって子供に目が届かない。どのような事情があるにせよ、子供の変化を見逃してはならないのではないだろうか。子供に危険が迫っていることは、その態様を見て承知していたはずである。親も教師も恥ずべきは自らの生き様である。
 やり場のない怒りを感じた人は多かったに違いない。
先生は、きめられた時間に決められたことを教え、教育者としての認識に乏しく、親の顔色をうかがって時間をやり過ごしている先生が多いと聞く。単に先に生まれた人でなく、真に教師であることをどれだけの方が認識しているであろうか。
昔は、親より怖かったというのが先生であり、本気で子供に対峙していた教師は多かったと思う。
親に叱られるのは、子にとっては当たり前であり、それより何より、 先生には、いかにして怒られないようにするかと心をくだいていた子供は多かったはずである。

 教師は教育者であることを認識し、親は、いわば命をかけて生んだ子に、目をつむることなく育てる責任があると思う。
働いて子供を育てなければならない母親は多いはず。人はそんなに冷たくはない。助けを乞うことは恥ではなく、目が行き届かなければよろしくと言えばよいのではないかとつくづく思うのである。

 先日、かって住み慣れた東京の公園を訪ねた。
すっかり様変わりして広かった梅園は美しく整理され、10種におよぶ梅が咲き誇っていた。家の傍の、この大きな素朴な公園で、今は亡き犬と散歩して暮らしたことが思い出され、泣きそうになった。
世田谷の高台の住宅地は、モダンな家々が立ち並ぶ住宅地に変わっていて、たっぷりと時間をかけて訪れたにもかかわらず早々に引き上げることになった。唯一、隣家に暮らしておられた方が今もご健在でおられ、お邪魔してひと時を過ごした。
 それでもまた、仕事でたびたび上京する機会に、行けなかった場所をたずねてみたいと思いながら、年月の流れを実感してホテルに引き上げたのである。
 
 
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