2016.08.10 Wednesday
暑い夏の日に
いつの日も暑く、広島と長崎は、滴る汗の中であの日を迎えてきた。日陰のない灼熱とも思える夏の日の広場に立って、業火に焼かれる人々の、耐え難い思いの爪ほどでも共有するという、ただひたすらに、その思いの中で広場に立ち続けてきていく年を経てきた。、
年を重ね、広場に立たなくなって久しい。そして、その日の時刻にテレビの前に立って祈る。
悪天候によって、北九州の小倉に原爆が落とされなかったという事実、そして、それが長崎に悲劇を生んで、母と子を焼いたという事実。かって、アメリカとインドの女性と3人で長崎を旅し、広場に立って母と子の像を目にしたときに突然こみあげてきた思いに号泣し、2人を戸惑わせたことが思い出された。
2人は何も言わず、ただ黙って私が落ち着くのを待っていた。
そして2人は、そっと私を抱いた。
戦争という最悪の悪が、個々の人間の心と人生とを奪って、なお、影を落とそうと構える。
為政者の思惑を飲み込んで、母子像も千羽鶴も厳然とそこにある。戦争という最悪の悪を飲み込んで立つ。
灼熱の広場に、願いを込めて祈る心を、救い上げる明日であって欲しいと願わずにいられない。